第14話 メモリーバンド
OP、EDが変わりました。
OP、画はすんごい好きです。曲は、もうこれは個人の趣味の問題になるので、まあ、好きか嫌いか聞かれれば、好きではないです。
“DAYS”を初めての放送で聞いたときは、日曜の朝にふさわしく「今日も一日がんばるぞーーー!」みたいな気持ちが上昇していくカンジがすっごく好きで、それがまた画ともカンペキにマッチしてて、結局CD買っちゃったんですけど、多分今度のは買わないでしょう。ジャンル的に、ムリです。
EDは、もうオシャレで好き!何気にストナーをその他大勢に入れずに使ってくれてるんで、それだけでOKです!今度はこっちのCD、買おうかな。
本編ですが、これまでの展開を、前半ストナー先生、後半ドミニク君の語りで振り返っています。
前半は哲学者先生の難しい日本語で、妙に抽象的に語られています。ストナー@やすのりサンはこれを理解して語っていらっしゃるのでしょうか?
後半のドミニク君はこれまでを振り返りつつ、ホランド、エウレカ、また軍の過去についても多少語ってくれているので、背景が少しずつ見えてきました。ドミニク君はきっとベルフォレストに向かうんでしょう。
え~と、今回は前半のやすのりサンの、じゃないストナーの語りを起してみたので、ツラーっと聞き流しただけでは意味の分からなかった(私を含め)方は是非、御参考になさってください。
『現象と心象』
私の名前は観察者。
現象と心象の中間に位置する存在。
あらゆる自然現象は何者かによって観察されねば、その事象は記録されることはない。
私の名前は、観察者。
あらゆる現象は私のような中間に位置する者の眼によって観察されることでのみ、その存在を未来に残すことができる。
君はコーラリアンを知っているか。
コーラリアンと呼ばれる存在について我々が語れる言葉は少ない。
誰もがそれをまるで幽霊か化け物のように語る。
しかし実際は何れにも当てはまらない。
コーラリアンを前にして、我々の持つ語彙は圧倒的に少ない。
君はコーラリアンを知っているか。
もし我々に、今の我々以上の語彙が備わったとして
しかし、きっと我々にはそれを表現できないし、その感じ取ったことを分かち合うことさえもできないであろう。
我々はコーラリアンの前では圧倒的に無力だ。
言ってしまえば、それは砂漠の蟻が大空の先にあるものを語るに等しい。
しかし、伝わらないからと言って表層だけを語り本質から逃げるという行為に満ち溢れたこの世界で
それに則って言葉を紡ぐことに一体どれだけの価値があるのだろうか。
伝わらないなら、伝わる努力をするべきだ。
その努力をしたくないのなら、永遠の沈黙を以てこの場から立ち去るべきだ。
それを彼らは証明していた。
大波を待つライダー達にとって、そこに存在していることが全てを言い表していた。
全ては体験を通して語られる。
既に用意された安易な言語でしか表現できない彼らは
その安易さの元に持ち合わせた深い真実によって、それを敢えて言葉として表現する。
何を語る?
真実を。
しかしそれは余りにも浅い言葉でしかない。
それを人は陳腐な言葉の羅列として蔑むであろう。
しかし真実など誰が解る?
目の前で起こった現象に対して高尚な言葉で語ること、それこそがその現象を矮小化させている。
現象は現象でしかない。
現象を語るには現象になるしかない。
しかし我々は現象そのものになることはできない。
現象は我々以外の所にあり、我々以外の所から発生するものであるからだ。
そうなのだ。
現象は俺達がいなくても起こる。
ただそれを目撃した者達には何かを残す。
それがその者達にとって傷となるのか、はたまた糧となるのか。
それすら、波には関係がない。
私の勝手な解釈で、漢字とか句読点とか入れちゃってますので、ソコは深く考えずにお願いします。
間違ってたらごめんなさい。
・・・書き出しても、理解に苦しむ私はやっぱりバカ・・・。
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